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3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」 ヨハネの福音書
3:3の「人は、新しく生まれなければ」という箇所は、英語ではBorn Again、日本語では「新生」と言われます(conversionという語を使ったりもします)。イエス様と出会って生まれ変わる、今度はクリスチャンとして新しく出発すという意味で、つまり、自分の中でずっと積み上げて来たものの延長線上にある悟りとは違うらしいのです。
実は私もよく分からないのですが、「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」とイエス様がおっしゃる通り、悩みの解決、新しい哲学、理性の果てにあるものではなく(形而上学の不可能を言う)、イエス様との出会い、それを御霊によって知ることなのだと。
不思議なことですが、でなければ、ごちゃごちゃとうるさい私のような者は、その救いの恵みにあずかることは出来なかったでしょう。
一度死んで(罪の中に)、新しく生まれる(御霊によって)、これが洗礼です。
洗礼を受ける者は、水から上がるその時、圧倒的な恵み、喜びとして知るでしょう。そしてこのすべてのことを無条件で受け入れる、これを信仰と言うのでしょうかね。
罪を自覚出来るクリスチャンこそ、罪との戦いは生涯続くでしょうが、まず、自分が罪深い者と徹底的に知るのは、新しい人生の始まりです。
私の文章はピントが外れていますが、聖書にはすべてのことが書いてありますので、野寺先生のもとで、さらに学ばれるとよいと思いますよ。
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