|
|
あー、大変だったメ〜。
しかし、こんな「僻地」にも関わらず、たくさんの人が訪れている足跡を見て嬉しくなりました。それから宇宙の起源についての議論も沸騰しており、しかもメー子にとっても避けて通れない議論なのでちょっと参加。
メー子の考え
表現にはいろいろな形態があると思います。
詩、論文、新聞、紀行文、戯曲、童話、手紙…
文章の形式は、その伝えたいことを最もよく表現しうる形をとるわけです。
ラブレターを説明文で書かれても興ざめだし、時事ニュースを詩で表現しても役に立たないメ〜。
しかし、大事なのはどんな文章形式でも、真理がその中にあるということでしょう。
それが完全な明るみに照らされている場合もあれば、隠喩のなかに隠されている場合もあるけれど…。
創世記(特に1〜11章)は「物語」(narattive)という形式ですが、そのような形式をとるのが書物の目的に一番かなっていたのだとおもいます。
通行人さんも管理人さんもおっしゃっている通り、科学論文ではないのですから。
神様が言葉をもってこの全世界をおつくりになった、ということを伝えるにはやっぱりあのような語りが適切だったのだとおもいます。
だから科学が説明する天地創造と、聖書のそれは、必ずしも対立しないと考えます。
表現形式が違うだけだとメー子はおもっています。
|
|