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結城先生のお話は、日本のキリスト教会における「仕方がなかった」という大義名分のうちにすべてを終わらせ、赦して来てしまった体質について、それと敢然と立ち向かった人々との対比のうちに、改めて教えていただきました。これは原稿をいただいていますので、いずれニュースレターでご紹介することにしましょう。
笹川長老のお話しは、結局「裁判員制度」までをめぐって、2時間半にも及び、実に興味深いものでした。大学の先生でもありますから、お話しが上手ということもあるのですが、むしろ取り扱われている題材の面白さに、誰一人飽きる者もだれる雰囲気もなく、このまま終わるのがもったいないほどの集中ぶりでした。その中には経験豊かな教会リーダーたちもいらっしゃいましたが、たぶん初めて聞く話だったのでしょう、盛んに頷きながら聞いておられました。私も、それなりには韓国に対して知っているつもりでしたが、「法学」という(笹川長老は「憲法学者」です)、まったく別な観点からの切り口、また、それを通して深く韓国と関わって来られた経験からのものでしたので、驚くと同時に、大変興味深いものでした。私のこれまでの断片的知識であったものが、何かひとつにつながるような感じだったと思います。また、法律という、ある意味ではクールな観点からのアプローチには、妙な思い込みや決めつけがなく、説得力のあるものでした。
特に国際法の問題においては、本来国際法の根底には「交隣」(隣国を助ける)という、いわば今の民主党のスローガンのような「友愛」の精神があるというのが印象的でした。近代は、むしろこれを持って始めるべきであったのが、この「交隣」の精神を忘れ、いわゆる「国益」と称する自己中心主義の道具に使われて行ったところに問題があったとのことでした。早晩国際法は力の論理の大義名分化とされ、日本においても、これを笠に着たアジア侵略の正当化、認めさせて行くという非道を繰り返して行くこととなったのです。
最近の知識人たちによる、日本のアジア侵略は植民地支配ではなく、国際法上にの取った条約によるものだとの発言の根拠となっているものでした。しかし、笹川長老の、軍という力を背景とした条約締結は無効、国際法上違反としておられました。
裁判員制度については、ほとんど時間がなかったのですが、実に明確にそれは憲法違反であると、まさしく憲法学者として明言しておられました。カトリックが、これまた明確に不参加を表明したことを評価し、プロテスタント諸教会も、もっと議論を展開して不参加の意思表明をなすべきとのことでした。仮に、百歩譲ってそれを認めたとしても、在日の人々(裁判は受けても裁判員にはなれない)、死刑制度を含むこと、裁判の不均衡などなどの問題点が多すぎることを指摘しておられました。
ではどうするのか。自分自身に裁判員の依頼が来た時、今のところ、行政がどう判断するかは分からないが、自分自身のはっきりとした意思表明をする以外にないとのことでした。嫌は嫌だと。
火曜日は、同じく赤羽聖書教会に集まって、今年野寺先生が取得した「博士号」に対する祝賀会を行うことになっています。一部で証言してくださった結城先生の発案でしたが、勿論そんなに大それたものでなく、朱基徹委員会らしいささやかなものです。集まれる者だけ集まって会食をしようというものです。鰻屋さんでした。
日曜日の夜は、それ以外に、集会が終わってから、教団内に起こった問題について話し合う集まりがあったのですが、私にはよく分からないので、残念ながら失礼させていただきました。
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